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落語みゅーじあむ

落語みゅーじあむ 池田城跡公園周辺観光
落語のまちとしても知られる池田では、昭和初期の古い建物をリニューアルして作られた上方落語の資料館”落語みゅーじあむ”も人気です。本物の高座に上がって羽織をはおって記念撮影できるなど、お楽しみの要素満載で、落語ファンならずとも楽しめる施設です。

<アクセス>
阪急池田駅から栄町方面へ徒歩7分。

<お問い合わせ>
(072)753-4440
火曜日、年末年始はお休みです。

<管理人コメント>
池田が落語のまちでもあるということはあまり知られていないようですが、これはもうれっきとした事実。千社札シール(有料)などのお土産もありますので、ふらりと気軽に立ち寄ってみてはいかがでしょう。
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インスタントラーメン発明記念館

インスタントラーメン発明記念館 池田城跡公園周辺観光
今や世界的にも有名になった最初のインスタントラーメン”チキンラーメン”は、実はこの池田の地で生まれたのをご存知ですか?ここインスタントラーメン発明記念館では、開発当時の様子を再現した研究小屋が用意され、発明の全てが分かる数々の展示も楽しむことができます。

<アクセス>
阪急池田駅から南へ徒歩約7分。

<お問い合わせ>
(072)752-3484
火曜日はお休みです。

<管理人コメント>
ラーメンファンならぜひ一度は行っておきたい、ラーメンの聖地と言っていいスポットです。手作りラーメン体験などもでき、子どもと一緒に楽しめるというのもうれしいところです。

逸翁美術館

逸翁美術館 池田城跡公園周辺観光
阪急東宝グループ、宝塚歌劇の創始者である小林一三氏の旧邸を美術館にしたのが、ここ逸翁美術館です。小林氏が集めた陶磁器、書画、絵巻物などを、年4回季節ごとに展示しています。コレクションの中には重要文化財なども数多くあり、多くの古美術ファンでにぎわっています。

<アクセス>
阪急池田駅から北東へ徒歩15分。

<お問い合わせ>
(072)751-3865
月曜日、展示替え期間はお休みです。

<管理人コメント>
行ってみたいと長年思いながらなかなか都合がつかず、実は私はまだ行ったことがありません(写真は友人に分けてもらいました)。蕪村や呉春のコレクションが有名という話なので、興味のある方はぜひ!

池田文庫

池田文庫 池田城跡公園周辺観光
池田文庫の開館は昭和24年。現在およそ20万冊を超える図書や雑誌が収められています。収蔵されている図書のおよそ60%は、映画・演劇・美術・文学に分類されるものです。また、宝塚歌劇の創始者である小林一三氏の寄贈書や、宝塚歌劇・阪急電鉄のポスターなどの非常に貴重な史料が所蔵されているもの特徴です。なお、館内には展示室もあり、年2回、企画展が開催されています。

<アクセス>
阪急池田駅から北東へ徒歩10分。

<お問い合わせ>
(072)751-3185
月曜日(祝日となった場合はその翌日も)、祝日、第1水曜日はお休みです

<管理人コメント>
管理の行き届いた静かな環境で、じっくり図書を読むことができます。宝塚歌劇ファンの方なら、あっと驚くような資料に出会えるかも知れませんね。

池田城の衰退

池田城跡公園 池田城
織田信長が「天下布武」をかかげて天下統一に乗り出したとき、池田氏は降伏し、各地を転戦させられることになりました。その後の1570年、信長の支配に屈服することを潔しとしない池田氏内部の反信長派が、信長派に属する「池田四人衆」のうちの2人を殺害し、池田勝正は城を追われることになります。

この突然のクーデターの成功で、これまで部下であった荒木村重は池田を支配するようになります。この後村重は、高槻の和田氏、茨木の茨木氏を次々と滅ぼし、さらには信長に取り入り、室町幕府の滅亡で功労を示し、見事「摂津守」の地位をいただくまでに至ります。

そして1574年には、村重は伊丹城の落城に成功し、その名を「有岡城」と改名して居城とし、これによって池田城は事実上の廃城となったとされています。

なお、このあたりの事情を示す史料としては『中書家久公御上京日誌』があり、そこには1575年4月の記述として、「亦左方に池田といへる城有り。今はかわりて捨てられ候」と記されています。

池田の地元に住む者として、池田城の最後は「廃城」だというのは、何やら複雑な気分ですが、これも歴史の真実です。真っ向から受け止めつつも、やはり池田城や池田氏というものを誇りに、この街の魅力を訴えていきたいと思います。

池田城の戦略的価値

池田城跡公園 池田城
池田勝正を池田城から追放した荒木村重は、その居城を池田城から伊丹城に移しますが、これには池田の地理的な特徴が大きく影響しているのではないかと考えられています。

伊丹という土地は西摂津平野の中心に位置しており、当時の幹線道でもあった西国街道にも隣接し、しかも比較的大阪湾にも近い位置にあります。この点、池田は西国街道からは離れていますし、西摂津平野の中では、大阪湾から離れた位置にあります。

村重はその配下の武将たちにつき、摂津国の東端の高槻城に高山右近、茨木城に中川清秀、尼崎城には嫡子村次、西端の花隈城に荒木村正という布陣で配置しています。

伊丹という土地の地理的条件と、これらの武将の配置をあわせて考えると、安土に陣を構える織田信長をけん制し、海上ルートを通じて信長と敵対関係にあった毛利氏と連携しようとしていたものと見られます。

後に「摂津守」の地位を任されるなど、信長からの信任を勝ち得ていた村重ですが、実は村重は信長を危険人物と考えており、その後の信長との関係を考慮し、摂津の防御のために伊丹に移ったのではないかと考える向きもあります。しかし、一連の事情を考慮すると、こうした話もかなり説得的なものに思えてきます。

それにしても、池田城の乗っ取りに成功した荒木村重という人物は、相当な策士のようですね。その頭の回転のはやさと政治力には、織田信長もまた、深く感服していたのではないでしょうか。

池田城の誕生

池田城跡公園 池田城
池田城跡公園のサイトを始めようと思いたって、園内の掲示物をはじめとする資料を調べるうちに、池田城の歴史的な位置づけというものがおぼろげながら分かってきました。ここでその成果を披露させていただきますので、池田城跡公園を訪れる前の予備知識として活用していただければと思います。

池田氏は南北朝時代の頃から急速に勢力を伸ばしはじめ、1300年代の半ばあたりにはすでに勝尾寺の檀家になっています。とはいえ、勝尾寺の檀家衆の土豪30数人の中の一人に挙げられていることから、特に卓抜した存在であったとはいえないことが分かります。

なお、池田氏は摂津国守護赤松氏の家来にもなっていたことが判明しています。

この後、いったいどのような過程を経て池田氏が成長していったのかは、明らかになっていません。しかし、80数年の間に、勝尾寺の檀家衆の土豪が30数人から10人程度にまで淘汰され、その中に池田氏が残存していることは、『勝尾寺文書』に記録として残されています。

おそらくこの頃には、池田氏の支配領地が拡大し、池田氏はいわゆる「国人」として成長しており、その支配拠点を構えるに至っていたものと推測されています。これは言い換えれば、1400年代の前半くらいには、現在の池田城跡に館を保有していたのではないかと考えられるということです。

1467年に勃発した応仁の乱の際には、室町幕府の有力者である摂津国守護細川氏の家来になっていることや、1469年の史料に「池田城」の名称が登場していることなどから、このように考えられています。

正直言って、この時代の歴史に関しては、「人の世むなしい」でおなじみの「応仁の乱」という言葉が登場してきて、ようやくこれなら分かるとホッとしたくらいの知識しか持っていませんでした。しかし、改めて読み返してみて思うに、なんとも興味深い時代のようですね。この週末は、この時代の歴史小説など手にとってみようか、少しそんな気分になってきました。

池田三九郎(いけださんくろう)

池田城跡公園 池田三九郎

池田三九郎(いけださんくろう)
池田三九郎は、池田城の最後の城主である知正の弟の光重の子です。1605年、三九郎は18歳の若さで没し、養父知正とともに大広寺に葬られました。衣冠束帯の正装に黄金の太刀をかまえ、高麗縁の上畳に正座した三九郎の姿からは、弱冠18歳の面影が見てとれます。(写真は城山勤労者センターにて撮影)

義父の下で育てられた挙句、18歳の若さで亡くなってしまった少年ということで、子を持つ親としては何やら胸にこみ上げるものがあり、しばらくこのパネルに見入ってしまいました。

池田知正(いけだともまさ)

池田城跡公園 池田知正

【池田知正(いけだともまさ)】
池田知正は、摂津国の有力な国人である池田長正の次男として生まれました。1568年に入って織田信長が上洛してくると、三好氏に属して織田軍に抵抗するものの後に降伏し、信長の家臣の一人となります。1570年には、池田氏の内部で紛争が発生し、これを受けて兄の勝正が出奔したことから、家督を相続することになりました。(写真は城山勤労者センターにて撮影)

織田信長に抵抗していたにもかかわらず、降伏してその家臣になるというのは、どんな気分がするものなのでしょう?一介のサラリーマンの自分には関係ない話かとも思いましたが、実は現代の会社組織でも、こういったことが日常茶飯事なのではないかと気づき、ちょっと複雑な気分です(笑)

池田充政(いけだみつまさ)

池田城跡公園 池田充政

【池田充政(いけだみつまさ)】
細川氏に仕えた池田充政は、摂津に勢力を築きました。1467年に勃発した応仁の乱の際には東軍に属し、上洛してくる大内軍を池田城において迎え撃つものの、1469年にはあえなく落城。その後一時は身を追われていた池田充政ですが、ほどなくして城を奪還し、領地をさらに拡大の上、1478年にはついに摂津桜井郷の代官職を獲得することに成功しました。(写真は城山勤労者センターにて撮影)

落城後、一時は追われる身となっていたにもかかわらず城を奪還するだなんて、まるで時代劇を見ているようでかなり興奮してしまいました。さらに領地を広げて代官職についたということで、池田充政という人物の人生はなかなかに充実したものだったのではないかと想像しています。

池田氏とは

池田氏という言葉を聞いても、よほどの歴史マニアの方でもない限り、ちょっとピンとこないというのが実際のところではないでしょうか?ここでは、池田城跡公園内の掲示物その他の資料から分かった範囲で、池田氏とは何かということについて、解説させていただきます。

池田氏とは、戦国時代、すなわち1400年代後半から1570年くらいまでの間に、現在の大阪府池田市一帯をおさめていた武将です。

池田氏の先祖については、諸説ありますが、現在の宇保(うほ)から神田(こうだ)のあたりにあった呉庭荘(くれはのしょう)に暮らしていた人々ではないかという推定が有力です。この人々が1400年代半ばくらいから徐々に勢力を増していき、ついに池田城を築き上げ、そこを拠点にしたものと考えられています。

池田氏は戦国時代の武将ではありますが、いわゆる戦国大名というわけではなく、戦国大名の家来という位置づけになります。

その頃、池田の周辺には、池田氏のほかにも戦国大名の家来がおり、吹田の吹田氏、伊丹の伊丹氏、能勢の能勢氏はとくに有名です。これら戦国大名の家来は、現在でいう市町村程度の領域を支配しており、それぞれ支配の拠点として城を構えていました。なお、こうした武将のことは一般に「国人」と呼ばれています。

戦国大名の家来であった池田氏は、しばしば戦国大名らの紛争に巻き込まれ、池田城もしばしば落城の憂き目にあっています。また、池田氏の内部でも紛争は発生しており、城主である池田勝正は、その家来である荒木村重によって城から追放され、それ以降、池田氏は荒木村重の家来となります。

こうして荒木村重の家来になった池田氏は、江戸時代以降はどうなってしまったのか定かではありません。

他の多くの武将同様、池田氏もまた、時代の波に翻弄され、過酷な運命をたどる結果となってしまったようですね。戦国時代というと、とかく織田信長、豊臣秀吉クラスのスターばかりが注目されがちですが、池田氏のような地方の小規模の武将について知識を深めるのも面白いかも知れません。

空堀散策路

池田城跡公園の散策もいよいよ終盤です。この散策路をまっすぐ行けば再び東門(大手門)の方に出ますので、楽しかった一日の記念にやっぱりおみやげを買おうと思われた方は、その右手の管理棟の方へぜひまたお立ち寄りください。私は実は、池田名物(!?)ウォンバットのかわいいカンバッジに心ひかれていたのですが、妻の反応が怖くてながめるだけにしておきました。ちょっと後悔しています(笑)

池田城跡公園 空堀散策路

虎口

虎口(こぐち)とは、城の出入り口である城門のことで、小口という言葉に由来するのではと言われているそうです。池田城跡公園の虎口から公園内を眺めてみました。

池田城跡公園 虎口

南門

天守閣のあとだけにちょっと疲れ気味ですが、まだまだ行きますよ。ここが次の順路となる南門です。ここから下りると花菖蒲園があるということなのですが、今日はそちらまで回る時間がなく、泣く泣くあきらめざるを得ませんでした。

池田城跡公園 南門

展望休憩舎

さあお待ちかねの展望休憩舎に到着です!私は個人的には、ここのことを本丸または天守閣と呼んでいるんですが(笑)、その方が雰囲気が出ていいと思われませんか?

池田城跡公園 展望休憩舎

すっかりくつろぎモードのおじさん。もう上階からおりてこられたのでしょうか?私は勇猛果敢に突入を試みます!

池田城跡公園 展望休憩舎

土足で歩くのが申し訳ないくらいのキレイな床。壁だってピカピカしていて、大事にされているんだなということが伝わってきます。

池田城跡公園 展望休憩舎

壁面には、池田城跡公園の四季の様子をおさめた写真が飾られていて、また他の季節にも来てみたいという気分にさせてくれます。

池田城跡公園 展望休憩舎

上ではドリンクを買うことはできません。景色を楽しみながらお茶など飲みたい方はここでの購入をお忘れなく。

池田城跡公園 展望休憩舎

こんな電動イスが用意されているお城なんてほかに聞いたことがありません。障害を持つ方やお年寄りへのあたたかい心配りがいいですね。

池田城跡公園 展望休憩舎

さあ、いよいよここから攻め込みます!

池田城跡公園 展望休憩舎

まだなんとかがんばれそうです(笑)

池田城跡公園 展望休憩舎

おっと、太陽の光が見えてきましたよ!

池田城跡公園 展望休憩舎

思いつきで下をながめてみてビックリ。けっこうこの階段は急なんですね。高所恐怖症の人はちょっと注意が必要かも知れません。

池田城跡公園 展望休憩舎

ようやくたどりつきましたー!見慣れた池田のまちも、こうして上からながめてみるとまた一味違います。

池田城跡公園 展望休憩舎

灯篭がいい雰囲気を出していますね。

池田城跡公園 展望休憩舎

でも下を見てちょっとヒヤッとしてしまいました。床の木と木の間、けっこう隙間があります。これまた高所恐怖症の方はご注意を。あっ、自分も含めてなんですけど(笑)

池田城跡公園 展望休憩舎

ぐるっと一回りしてみましょうか。

池田城跡公園 展望休憩舎

ああいい眺めだった。

池田城跡公園 展望休憩舎

名残おしみつつ左の方も見てみます。

池田城跡公園 展望休憩舎

階段を下りるときには、天井がどうなっているのかよく目に入りました。しっかりした造りになっているのがよく分かります。

池田城跡公園 展望休憩舎

これもまた天井を見上げたところです。上棟の儀式に使うものなのでしょうか。施主として倉田薫市長の名前が書かれていました。倉田薫市長といえば、大阪府の橋下徹知事が、池田市の第三セクターが販売予定の菓子の包装にイラストが使われることについて云々というニュースでまた話題になりましたね。

池田城跡公園 展望休憩舎

無事下りてきて、最後にもう一枚。いやー、世は満足じゃ(笑)

池田城跡公園 展望休憩舎

西門

西門から公園を訪れるのはけっこう大変です。ここを起点に95段の階段を上って行かなければなりません。足に自信のある人はぜひ挑戦してみてください。私はあえていったん下に下りて、プチ登山を体験してみました(笑)

池田城跡公園 西門

ようやく西門が視界に入ってきましたー!やれやれ。

池田城跡公園 西門

西門をくぐる前にほっと一息とばかりに周辺の景観をカシャリ。池田城跡公園は、実は結構な丘陵地にあるのだということがお分かりいただけると思います。

池田城跡公園 西門

日本庭園

かなりの広さがある日本庭園の中には、こんな清流も流れています。陽の光を浴びてキラキラ輝く水がまぶしく、本当にきれいでした。

池田城跡公園 日本庭園

このへんまで来るとさすがにちょっとくたびれてきます。こうしてちょっとした東屋のようなものがあって休憩できるのはうれしいですね。こちらの女性は何か俳句のようなものを読んでいらっしゃいました。風流です。

池田城跡公園 日本庭園

だんだんお目当てのお城が近づいてきました!

池田城跡公園 日本庭園

枯山水

この枯山水も、先ほどの井戸同様、池田城の発掘調査の際に確認された遺構を再現したものだそうです。小規模ながら手入れの行き届いた枯山水・・・。池田という近代的な街の中で、しっとりと「和」の雰囲気を味わえるというのは貴重ではないでしょうか?

池田城跡公園 枯山水

井戸

こちらの井戸は、池田城の発掘調査の際に分かった遺構を再現したものだとか。それはともかく、井戸の中をのぞいてみたい誘惑にかられるのは私だけじゃありませんよね?(笑)

池田城跡公園 井戸

野草園

ボーっと歩いていたら見過ごしてしまいそうなところにポツンとあるのがこの野草園です。奥に足を踏み入れてはみたのですが、野草「園」というにしては小規模で、解説などがあるわけでもなかったのでガッカリ・・・。とりあえず入り口部分の写真だけは残しておきました。

池田城跡公園 野草園

茶室

落ち着いたいい雰囲気の茶室があると聞いていたので、ここはけっこう楽しみにしていました。見た感じより小さい門(!?)なので、頭を打たないように気をつけて。

池田城跡公園 茶室

ここを通過すれば茶室はもうすぐそこです。石がごろごろした感じなので歩きくいと感じる人もいるかも知れませんね。足元にはくれぐれもご注意を。

池田城跡公園 茶室

お待たせしました。ここが池田城跡公園の茶室です。団体限定ということですが、事前に申し込めば実際に利用させてもらえるとのことです。一個人に過ぎない私はすごすごと次のポイントへ移動を始めます(泣)

池田城跡公園 茶室

北門

管理棟を後にして順路を進むと、北門にたどりつきます。いったん北門の外に出て、公園内をながめる格好で写真を撮ってみました。左に見える建物が先ほどの管理棟です。

池田城跡公園 北門

管理棟

東門をくぐり、順路を示す標識に従って右に進むと、武家屋敷を模したという管理棟がまず目に入ります。

池田城跡公園 管理棟

売店はもちろん、ジュースの自販機などもありますので、ここでまず必要なものを購入しておくのがおすすめです。

池田城跡公園 管理棟

展示室の中では、池田市にまつわる各種イベントの写真が展示されています。チラシやパンフレットなどもありますので、興味を持たれた方は手にとってご覧になってはいかがでしょう?

池田城跡公園 管理棟

池田の人々の故郷に対する熱い思いがうかがわれるおみやげですね。

池田城跡公園 管理棟

洗面台にはこうして花が生けられるなど、観光地にしては珍しく清掃も行き届いた気持ちのいいトイレでした。女性の方もたぶんそうでしょう。私がチェックしにいくわけにもいきませんのでご勘弁を(笑)

池田城跡公園 管理棟

東門(大手門)

池田城跡公園で歴史を体感する一日は、横幅3メートル、長さ23メートルのこの木橋を渡るところから始まります。

池田城跡公園 東門(大手門)

橋を渡り切ると、通称「大手門」と呼ばれる東門が、格調高く私たちを迎えてくれます。

池田城跡公園 東門(大手門)

東門(大手門)の内側から、今渡ってきたばかりの木橋をながめてみました。思えば遠くへ来たもんだ(笑)

池田城跡公園 東門(大手門)

東門の周囲には、手入れの行き届いた白砂と石のコントラストが美しいちょっとした庭園が広がっています。

池田城跡公園 東門(大手門)

園内マップ


池田城跡公園 園内マップ  

1 東門(大手門)
池田城跡公園のメインゲートとなるのがここ東門(大手門)です。

2 管理棟
武家屋敷を模したという管理棟ではおみやげなどを購入できます。

3 北門
北門から入ると、左前方の管理棟の建物が目に入ります。
  
4 茶室
団体利用可能な本格日本かわら葺きの茶室です。

5 野草園
小規模ながら野草園が用意され、和風情緒を盛り上げます。

6 井戸
発掘調査の際に判明した遺構の様子を再現したものです。

7 枯山水
こちらも井戸同様、遺構の様子を再現したものです。

8 日本庭園
園内中央部の本格的な日本庭園が見る者の心を圧倒します。

9 西門
西門からの入園はちょっとした登山の雰囲気に浸れます。

10 展望休憩舎
休憩舎といえど、その頑丈な造りと形状はお城そのものです。

11 南門
南門を下ると菖蒲園があり、訪れた人の心を癒してくれます。

12 虎口
こちらにもこじんまりとした城門があり見逃せません。

13 空堀散策路
散策路をまっすぐ進むと、はじめの東門(大手門)に戻ります。

池田城跡公園へようこそ

池田城跡公園 展望休憩舎池田城跡公園とは、五月山のふもとに整備された大阪府池田市城山町の公園です。2000年にオープンした池田城跡公園は、室町時代から戦国時代にかけ、現在の大阪府池田市・箕面市・豊中市のあたりを支配していた豪族である池田氏が築城した池田城の跡地に作られました。

池田城跡公園の園内には、美しい白の城壁で囲まれた日本庭園が展開し、展望舎、茶室、管理棟などの施設が整備されています。見晴らしのよい展望舎からは、園内を一望できるのはもちろんのこと、五月山、池田市街、兵庫県川西市、宝塚市の街並みや、天気のいい日には、さらに遠く大阪市や神戸市方面の風景までも楽しむことができます。

また、園内には、季節ごとに様々な花が咲くことで知られ、地元の風物詩の一つとなっています。 なお、池田城跡公園南門を下ると、小規模ながら花菖蒲園が展開しており、訪れた人々の心を和ませてくれます。

池田城跡公園 「てるてる坊主の照子さん」文学碑2003年には、ここ大阪府池田市を舞台にNHK朝の連続テレビ小説「てるてる家族」が放送されましたが、これを記念して、2004年4月、「てるてる坊主の照子さん」文学碑が公園内に設置されました。メインの入り口である東門(大手門)から入ってすぐのところにありますので、連続テレビ小説のファンの方のみならず、ぜひ皆さんにご覧いただきたいと思います。

池田城跡公園への入り口は、東西南北に各一つずつ。城山勤労者センターに隣接する東門がメインゲートとなっています。この東門へは、横幅3メートル、長さ23メートルの木橋を渡って向かいます。東門をくぐれば、そこは一面の日本庭園。東門の右手には、平屋建ての武家屋敷を模した造りの管理棟があり、その北側には、貴重な日本瓦ぶき屋根の茶室があります。

東門の左手には、池田城の遺構を復元した施設が置かれ、園内南側には展望のできる櫓風の展望休憩舎が設けられており、周辺地域の絶景を楽しむことができます。なお、この休憩舎の階段には、高齢者や障害者の方に配慮した電動イスが設置されています。今度の週末には、池田城跡公園を訪れ、遠く戦国の歴史の世界に思いを馳せてみてはいかがでしょう?

■■■池田城跡公園の概要■■■
<アクセス>
阪急宝塚線池田駅から北へ徒歩20分

<開園時間>
6~8月:午前9時から午後7時
11~3月:午前9時から午後5時
4・5月:午前9時から午後7時

<休園日>
毎週火曜日、年末年始

<入場料>
無料

<管理棟所在地>
池田市城山町3-46
TEL:072-753-2767
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