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池田城の衰退

池田城跡公園 池田城
織田信長が「天下布武」をかかげて天下統一に乗り出したとき、池田氏は降伏し、各地を転戦させられることになりました。その後の1570年、信長の支配に屈服することを潔しとしない池田氏内部の反信長派が、信長派に属する「池田四人衆」のうちの2人を殺害し、池田勝正は城を追われることになります。

この突然のクーデターの成功で、これまで部下であった荒木村重は池田を支配するようになります。この後村重は、高槻の和田氏、茨木の茨木氏を次々と滅ぼし、さらには信長に取り入り、室町幕府の滅亡で功労を示し、見事「摂津守」の地位をいただくまでに至ります。

そして1574年には、村重は伊丹城の落城に成功し、その名を「有岡城」と改名して居城とし、これによって池田城は事実上の廃城となったとされています。

なお、このあたりの事情を示す史料としては『中書家久公御上京日誌』があり、そこには1575年4月の記述として、「亦左方に池田といへる城有り。今はかわりて捨てられ候」と記されています。

池田の地元に住む者として、池田城の最後は「廃城」だというのは、何やら複雑な気分ですが、これも歴史の真実です。真っ向から受け止めつつも、やはり池田城や池田氏というものを誇りに、この街の魅力を訴えていきたいと思います。
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